2005年11月 

雨飾山バックパッキング



大渚山(おおなぎやま)にて

三日も野外で過ごすと、ターミネーター遺伝子が出現し、山を駆けるヤクザとなる。



初日

急に思いついて雨飾山に出かけた。調べてみると、JRやバスのつなぎがよい。しかし、11月となると吹雪くかもしれない。アイゼンと三日分の食料、準冬山装備、水1リッター入れて22.5Kgのバックパックとなった。まあまあか。小雨だが晴れの予報。糸魚川駅で山を見ると真っ白。冗談じゃない。北側からのアプローチは止めにして、中土駅までJRで行く。バスで小谷温泉へ。雨飾荘には12時半についた。紅葉が実に見事だった。観光客も多い。



小谷温泉の少し上


一時間少々ぶらぶら歩いて、雨飾山キャンプ場に到着。天気は崩れ、小雨。オートキャンプ場。管理人の人にお茶をいただき、のんびりする。雪はまったくないとの情報。気温7度、文庫本を読んで、少しうとうとする。5時、気温5度。飯の支度。ウインナと高菜のピラフ、お豆さん、カボチャスープ。7時前に寝てしまう。足が少し攣り、背中がだるい。



まだ体調不十分


二日目

4時20分に目が覚める。パンとチーズとプルーン。二杯目のコーヒーを飲み、トイレに行き、5時45分出発。水3リッターとオールレーズン、チーズを持つ。ようやく白みだした。6時20分、1280メーター、気温0度。相変わらずショーツとスパッツ。指がかじかむ。7時08分、1480メーター。日があたる。晴天。

中央少し右が雨飾山の頂上




こんな所、登れる訳ないだろ。




奥が頂上


9時04分、糸魚川への分岐。9時25分、山頂。先着は2名のみ。降りてもすることがないので、写真を撮りまくる。10時半、肝臓がバテて背中が突っ張る。寝ていたら、股の内側の筋肉が痙攣、数分で治まる。ストレッチ。山頂がにぎやかになってきた。



白馬がくっきり。




背景は登山禁止の焼山


10時50分、ガスがわいてきた。下山開始。写真を撮りながら、ゆっくりと下りる。2時前、キャンプ場着。身体を拭いて、そば粉のお焼きを食べる。「野豚のおちゃこ」、350円。かなり脂っぽい。3時、もう一度コーヒーを飲み、オールアップル。お隣にオートキャンプ。男二人、焚き火をしてぼそぼそ。面倒だから遠くに引っ越した。

三日目

引っ越しで正解。7時半から朝4時までぐっすり。夜の間中、糸魚川方面で稲光。あまり良い気持ちではない。星空だったが、朝から雲が急速に広がる。5時半に起きて、コーヒー、パン、チーズ。6時40分、出発。通り雨、10分ほどで止む。



道ばたの林




鎌池


鎌池を一回りして撮影。かなりの距離。8時。ブナ林亭、9時からの営業。コーヒーを入れて、イチジクを少し食べる。日が照ってきた。これから雨飾山に登る人。天気は回復するとのこと。その通りだった。8時半出発、湯峠。9時20分、車5台。大渚山1566メーター。コースタイムは一時間半。登ることにした。一時間かからなかった。山頂でセルフタイマーで写したのがオープニングの写真。10時40分、下山開始。11時22分、下山終了。「山を駆けるターミネーター」になってしまった。



林道から雨飾山を見上げる




林道脇の小道に入る。


オールレーズンとチーズで昼食。11時50分、出発。目黒沢13時10分。浄水器が完全に壊れる。sweet waterは壊れやすい。雨飾山登山口13時半。車の人が「どこまで」と聞く。「あと、2、3時間、歩いて適当な所で寝ます。」「ええっ!寝るの」と驚いた様子。とんでもないことをしているらしい。15時16分、千国街道分岐。少し登るが、水が見あたらない。100メーターくらい進むと小川。水3.5リッター確保。小道があったので、下って4時テント設営。

四日目



気の利いた立て札


朝、5時半に起きる。ごーごーと風が吹く。天気は下り坂。パン、チーズ、コーヒー。6時40分出発、すたすたと歩く。僅かに頭痛。7時40分笹野、電話がやっと通じる。8時06分、大網、歩く人は近道の標識、千国街道に入り、下る。姫川温泉、8時36分。バスの時刻表は9時38分。朝日荘は入浴OK。600円、くたびれた宿。湯から上がり、パンフを見ると駅から徒歩5分とある。宿の人に聞くと駅はすぐ傍。バスに乗る必要がなかった。JRは9時50分、糸魚川で高岡行きの普通列車が10時半。その後、天気は崩れ、猛烈な嵐になった。





2005年10月 

のんびり、じっくり僧ヶ岳



アプローチの林道

実は春に体重が80Kgに達し、週二、三回、一時間のランニングを繰り返した。見事に74Kg台の体重に戻った。しかし、筋肉も落ちてしまった。バックパッキングという重量挙げも必要らしい。原稿執筆の疲れもとれたし、後任人事もうまくいった。少し気持ちにゆとりができたので、なじみの山で二泊三日を過ごした。久しぶりに歩き直して見ると、良い山だ。二泊三日のバックパッキングコースを案内しよう。



初日

JRで魚津へ。8時36分の東蔵行きのバスに乗る。この後は11時8分しかない。9時東蔵着。林道歩きが3時間。晴天、片貝第四発電所、10時53分。富山市は34度を記録。連休のためか、坂本弁護士の墓はどこかと、車2台に聞かれる。正しい道を教える。12時片貝山荘着。中を覗くと、電気もあり、小部屋に別れている。立派な山小屋。住み着くのも良いかも。登山口の先の川の支流で水を補給。パンとクリームチーズとプルーンの昼食。11時のバスで来る場合、ここでテント泊か、片貝山荘に泊まると良い。

登山開始、12時35分。急勾配は10分ほどだが、奥様にすっかり嫌われたコース。ロープがかなり増えている。まあ、少しきつめだが。下山する地元の二人。14時、標高1120メーター。がちーん、がちーんとすごい鈴の音、夫婦が下山中。プロのクマなら人間の足音だけで充分。うるさいだけ。14時半、1255メーター地点、ガスが出てきた。やっとGPSが入る。15時、1370メーター、伊折山。小休止。しばらくすると、ウェストザックのみの軽快な人と会う。毛勝の入り口にチェーンがあったので、駒ヶ岳まで行ってきたという。30分ほど立ち話をしてしまった。16時17分、1600メーター、成谷山。池はもう少し先。16時40分、剱見の池。GPSで1658メータのピークの北と判明。GPSは狂うが、狂っても100メーター。地図を読めば正確な地点が分かる。やはり離せない。

浄水器の弁が作動して不調。水がなかなか入らない。スウィートウォーターは少し華奢。5時40分。飯を炊き始める。メニューは、ハンバーグ4つ、五島乾燥野菜、おまめさん、カボチャスープ。ガスがかかり、携帯が通じない。ガスが切れた時、場所を少し移動するとつながった。夜中からひどい雨。前線が通過中。ここではいつも雨に遭う。



剱見の池の側で


二日目

5時40分、起きてしまう。小雨。コーヒー、パン一枚、クリームチーズ二個。ちょっと少なすぎた。停滞するか、考え込む。前線は通過したが、午前中は良くない。読む本も持ってこなかった。雨がひどいのでしばらく様子を見る。7時雨が少しマシになった。出発準備。8時25分、僧ヶ岳山頂。水の補給、とってを踏みつけて弁を押し、本体をごきごき動かす。ある時、すっと弁の不調が直る。9時、グレゴリーサミットで、駒ヶ岳へ向けて出発。クマザサは刈ったばかりで、登山道に散乱。歩きにくい。道は荒れていた。足に力もない。食事の量が少なかったようだ。1880メーター地点まで行くが、風雨が強まる。GPSで現在地が正確に分かる。ちょうど2/3の所。10時、疲れたし止めにした。引き返し、再び、僧ヶ岳10時50分、パンとチーズとプルーンを食べて大休止、雨が収まってきた。



僧ヶ岳は雨


11時25分、下山開始、林道を目指す。女の人三名、仏が原で犬連れの男一名。本日の登山者はこれだけ。宇奈月コースをゆっくりと歩き、前僧ヶ岳コースと合流、12時半。途中、2箇所、ビバーク用ブルーシートが置いてあった。天気が良くなってきた。13時35分、林道。水がないので、魚津方面に林道を進み、テント設営。工事用の事務所が出来ていた。2時過ぎ、テント設営。Hilleberg Aktoは非常に張りやすい。水3リッター作る。身体を拭いてひげを剃る。14時50分、コーヒータイム。トーハト、オールマロンという新製品。少し堅い所があるが、旨い。オールレーズンを超えられるかは不明。本を持ってこなかったので、ラジオを聞く。ダウンマット、少し空気を抜いて使うと安定する。断熱性は抜群。











三日目

5時過ぎに起きる。小雨。パン2枚、チーズ3個、プルーン。これくらいは食べないといけない。6時、二杯目のコーヒー、ぽたぽたと少し雨。6時50分、出発。雨具は上のみ。烏帽子山1274メーター、7時35分着。ガスが出て携帯が切れる。小雨が少し、Tシャツになる。8時15分、1230メーターのピーク。9時、981メーターのピーク。高度計は100狂ってる。昨日から気圧が低下。鋲ヶ岳、9時40分着。コーヒータイムとする。登山靴は濡れてぐしょぐしょ。濃いコーヒーで非常に旨かった。10時7分下山開始、15分ほどで森林公園。誰もいない。水を一リッターにする。素晴らしい水洗トイレがあった。洗顔、ひげそり。これから3時間の林道歩きがある。10時45分出発、11時20分、下立(おりたて)への新しい林道が出来ていた。しかし、通行止め。いままでのルートを行く。12時3分、分岐。杉林はブユだらけ。歩きながら、10〜20匹殺す。下立口13時半。ちょうど電車が入ってきて乗り込む。予定終了。疲れたが、身体にパワーが戻った。

烏帽子山から


鋲ヶ岳から宇奈月


今回の優れ物

サーモスソフトクーラー5L

少し大きめの保冷ケース。断熱性良好、使いやすい。サラミ、チーズ、ハンバーグなどを入れて、バックパックの上部に収納。うさちゃんマークあり。たしか、1500円くらいだった。





2005年8月 

倶知安夏期強化合宿











倶知安に通った御陰か、じゃが祭で、太鼓を叩きました。太鼓は良いですな。まだまだ若い者には負けません。偶然、プロのカメラマンが写してくれましたのじゃ。







なあーんちゃって、もちろんウソですよ。

大学から逃げ出して倶知安に行くと、じゃが祭のまっただ中。なんと昨年、温泉で一緒になった太鼓のロクさんとぱったり出会ったのです。出番はこれからとのことで、激写することに。太鼓を叩いている傍まで接近し、400枚くらい連射しました。その中の三枚。オリンパスE-1の連射性能もまだまだ不足だなと感じました。ロクさんは北海道唯一の人間国宝で、NHKのTVにも出ているようです。何と91歳。年齢を感じさせない迫力で、後で頭痛に悩まされました。写真を送ったら喜んでくれて、来年もぜひ来いと言われてしまった。倶知安はキャンプ場が無料、温泉、生協マーケットが徒歩5分、羊蹄山、ニセコ連峰もあるし、良い所ですね。



Hilleberg Nallo 3

印税で買ったテント--その2、重さ2.4Kgで3人用。500ドルもしたが、ポイントがついて女性用スリーピング・マットProLite4が6ドルで買えた。日本では15000円というもの凄い値段。アメリカから取り寄せても4日で来るし、特に高い訳ではない。半月湖登山口のキャンプ場で張ったのですが、うるさかったので、進入禁止の林道に移動。安眠できました。奥様も満足されたテントです。スリーピング・マットも断熱性能が高く、ご満足されました。



1st stage

奥様が安眠中で、出発が遅くなったが、5時50分、キャンプ場を出発。水は7リッターばかり持ちました。四合目7時20分、八合目9時35分、9合目半で10時過ぎ、昼食としました。この後、急速にガスが出てしまい、展望はここまで。



背後はニセコアンヌプリ


羊蹄山は非常に分かりやすい山。体力勝負のみ。あれば余裕で登れるし、なければ死ぬ思いをする。天気が良いと天国、悪いと地獄。今年は花がきれいなので、写してみました。花の名前なんか知らないよ。1850メーターのピークは行ったけど、ガスの中、奥様も疲れたようなので、火口の間の高山植物を見学して下山。3時半にはキャンプ場に着きました。奥様はふらふらでしたが、想定の範囲内。トレーニングの効果が出ていました。



















これは生協の海鮮丼、498円


2nd stage

余市に移動し、食料の買い出し。次の目標である積丹岳の休憩小屋に移動。移動するだけで一日かかります。休憩小屋は415メーター地点。バス停から一時間半もかかりました。バックパックの重量は27-28Kgくらいあった感じで、疲れました。



積丹岳の休憩小屋


積丹岳山頂


余別岳が見えます。


積丹岳は標高1255メーター。登りは三時間半、木の生い茂った展望のない登山道を延々と歩きます。だらだら登り。登山している人はだれもいません。休憩小屋の雑記帳によると、平均して一日に一人か二人が登っているようです。人気が出るはずないです。九合目までなにも見えません。頂上でガスに巻かれると最悪です。我々は朝6時半出発、疲労の色の濃い奥様は空身、それでも9時50分に頂上に着きました。一部ガスはわいていましたが、積丹半島が一望できました。良い山です。頂上でコーヒーを入れ、10時半下山開始、休憩小屋13時着。もう一泊しました。良い小屋ですが、ムシがいます。テントを張った方がよいようです。





2005年5月 

能登半島バックパッキング(総集編)





山伏山キャンプ場


立て続けに本を書いたので、体調がおかしい。腕に変な皮膚疾患が出来た。調べると乾癬である。自己免疫疾患で難治性、治療法は紫外線を当てたり、生活を規則正しくして免疫力を高める方法がある。病院に行っても治らない。バックパッキングに行くしかない。明るくなれば起きて暗くなれば寝るし、ガンガン紫外線に当たれる。ゴールデンウィークなので人の少ない所を目指した。懐かしの能登半島バックパッキング(総集編)と企画を立てた。

1st stage

4/30(土)晴
JRで金沢へ。駅前がきれいになっていた。バスで鉢ヶ崎へ。妙なデザインのホテルがあり、びっくり仰天。海水浴場にはキャンプ場の設備が追加され、リゾートの事務所があり、料金を取っていた。そういえば10年ちかくご無沙汰していた。水2リッターを持ち、13時40分出発。14時40分、小泊児童公園、木が大きくなっていた。しかし、トイレも噴水も水がでない。小休止。16時10分、粟津。17時30分、山伏山キャンプ場。山伏山に少し入って見た。水はなく、畑は荒れ果てていた。キャンプ場は切り開かれて整備され、1000円とびっくりする価格。管理人の人はもちろん愛想が良かった。見晴らし台のところにテント設営。京都からスクーターで来た中高年が一人、今回のテーマは夕日と言っていた。写真を撮ってもらう。夕食はウインナとキャベツの中華炒め、カボチャスープ。夜は8時に寝る。



奥能登の遊歩道


5/1(日)晴のち雨
5時45分、目が覚める。コーヒー、アップルミューズリ、少し甘すぎる、プルーン。神戸の人はもう帰るという。6時半、出発。風が強くなる。少し歩くと、やはり500メーターほどで小川があった。ここで水を補給し、海岸線に降りて、人気のないところに行ってテントを設営するのがベストだろう。1000円は痛かった。7時、海岸に出る。7時20分、狼煙灯台。公園にトイレも出来ていて水もある。ここでもキャンプはできそうだ。8時、バックパックの雰囲気が少しおかしい。強化部分のボルトが一つなくなっていた。落ちていた網のひもで括る。折戸の生協でアクエアリスと大福柏餅セットを購入。遊歩道で小休止、9時30分出発。11時、椿展望台。パンとチーズで昼食、店も出来て繁盛している。14時20分、大谷。揚げ浜塩田が復活していた。びっくり仰天。働いているおばさんと立ち話。流下式2軒、揚げ浜3軒がある。ここ7から8年のことらしい。塩田の記念会館も出来ていた。天気が崩れてきた。15時20分、赤島。雨。強風、本降りになる。雨具を上下来て水を3リッター持つ。しかし、重すぎたので、2リッターにする。逢坂トンネルを抜けた園地にテント設営。雨はたいしたことはないが、強風。水を少し側溝より補充。濁っていたので浄水器がつまった。煮炊きに使った。夕食はサラミと高菜のピラフ、お豆さん、カボチャスープ。



岩倉山中腹から曽々木を見下ろす


5/2(月)曇りのち晴
4時半に起きる。ミューズリ、コーヒー、バナナチップ。6時20分出発。7時、曽々木。岩倉山に登る。7時半、千体地蔵、特殊な柱状節理だった。遊歩道が出来ていたので道なりに進む。寺に着き、8時過ぎ、曽々木口バス停。高速輪島行きがあり、9時5分、輪島着。おかずを3000円ほど買い、ボルトナットとドライバーを買い、バックパックの応急修理。10時40分、出発。役所前の河原公園でおにぎり、鳥の唐揚げ、芋サラダを食べる。消防がレスキューの訓練をしていた。桜もまだ咲いていた。11時20分、出発。12時、柏餅を食べる。足が痛くて元気がない。小学生のガキどもとすれ違う。遠足かトレーニング。担任と挨拶を交わす。車が止まる。夫婦、野宿の本を書いた人ではないかと聞かれた。記念撮影を要求される。そんなに有名でもないが。本に忠実に嫁さんを連れ出してテント泊とのこと。ホームページも定期的に見ている、最近、更新が少ないと厳しい意見。15時20分、赤崎。立派なオートキャンプ場。こんなところはやばい。16時、大沢。なんと、携帯がつながる。そういえば携帯を持つようになったのもこの数年のことだ。疲れたが、ラストスパート。16時50分、上大沢着。車を洗っている青年に荒磯歩道の事を聞く。ダメらしい。彼は上大沢出身で、富大工学部を3年前に出て、里帰り中とのこと。こちらも富大で教えているよと気軽に正体を明かした。ここは20〜30年も、通っていて、荒磯歩道や山道や舗装道路も歩いたというとびっくりされた。村の人でもそんなに知らないという。キャンプ場の料金のことを聞くと夏だけ集めている。水道も出しっぱなしなので、車を洗いに来ているという。連休なのにキャンパーはオレだけ。夏はどうかと聞くと、それなりという話。夕食は、牛丼のレトルト、具は少ないが3パック使って汁を捨てるとOK。なかなかいける。紀文の餃子、蒸し大豆のパック、カボチャスープ。7時過ぎには寝てしまう。



猿山の雪割草(白いタイプ)


5/3(火)晴
4時過ぎに起きてしまう。車が来た。釣りの人。5時にパンを半ダース、チーズを食う。6時20分、出発。おばあさんに荒磯の事を聞くと、途中から山に登る道までも行けないという。もう一人のおばさんも近づき、寒くないのかと聞かれた。どうも、正体は知れ渡ったような印象。山道にしますと言って別れる。ところが、山道への登り口もふさがれていた。柵を乗り越えて70メーターほど登った所で木が横倒しになり、道をふさいでいた。かなりの急斜面。無理に超えると危ないので引き返す。最近はまったく誰も歩いていないようだ。7時、改めて長々と車道歩きを始める。大昔、サイクリングでビバークした林道の入り口で小休止。足のまめを潰し、激甘のアンパンマンドーナツを食べる。今しか食えない。スパッツを外す。11時10分、皆月。結構疲れた。建設会社のところで水、2リッターを確保。パンを売っている店もない。閉店したようだ。激甘、アンパンマンドーナツとチーズとプルーンで昼食、自販機でアクエリアスを飲む。11時50分出発。猿山崎灯台へ一キロ、林道分岐点で休息。サイクル野郎がいく。13時50分出発。14時、婦夫岩の所が大駐車場になっていた。ここまでやることないのに、環境破壊もいいとこだ。14時23分、猿山崎灯台。小休止。14時45分出発。一時間弱歩いて、川で水を3リッター確保。シャツも洗った。野宿準備完了。深見近くの展望台への道はブッシュがひどく、竹でふさがっていた。躊躇したが、つっこむ。以前、耕作していた畑も放置されていた。畑の側にテント設営。カンカン照りで暑い。17時。もう少しだが、濡れたシャツを着る。気持ちがよい。今日のメニューはサラミと乾燥タマネギと残っていたサケのふりかけのピラフ、ごま油で炒めると旨い。お豆さん、カボチャスープ、疲れたけど、何とか調子が出てきた。7時過ぎに寝た。



荒れ果てた畑より


2nd stage

5/4(水)晴
少し風が強い。4時45分、目がさめる。パン4つ、チーズ3個、プルーン、コーヒーの朝食。6時20分出発。黒島の近くのトイレでひげそりと洗濯。8時25分、黒島。富来行きのバスがあった。海岸通りを行き、富来高校前下車。アスクはまだ営業していない。エーコープに入って少し買い物。10時にアスクに入り、ウインナ、餃子、もやしを買う。12時05分、厳門クリフパーク、なんとオートキャンプを堂々している家族が二組。あきれた。クリームパンを食べていると、トビにおそわれ、パンを半分とられる。なんてことだ。指から少し血が出た。観光客の食べ物に餌付けされている。12時半、出発。サイクリングロードは考えてみれば10年ほど歩いていない。入り口がつけ変わっていた。道沿いの松が大きくなり、見晴らしが悪くなった。14時30分、ガス欠。饅頭と柏餅を食べる。池に出る。ここで寝ると誰も来ないが水がもう一つ。しかも15時と早い。15時35分、三明。水を2リッター持つ。30分ほど歩くと森林公園。やたら芝生がきれい。犬を洗っていた夫婦。水を3リッターにする。きれいすぎてテントが張りにくいし、どうせ道の側で車がうるさい。公園を横切り林道に入り、広いところでテント設営。16時30分。ペグが刺さりにくかったが、靴を金槌にした。夕食はウインナともやしの中華炒め、餃子、カボチャスープ、お豆さん。



だれも来ない林道脇で


5/5(木)晴
くたくたで6時まで寝る。パン、チーズ、ドライのアップルとバナナ、コーヒー。右足の豆がひどい。7時10分、そろそろ片づけ。エアマットは少し寒い。顔を洗い、水の補給。静かな公園で誰もいない。8時出発、10時50分、高浜手前、Super Center ロッキーという巨大スーパーマーケットが出現。11時過ぎ、巨大温泉発見。入ることにした。450円。新築でカギも厳重。靴箱、貴重品入れ、脱衣所、すべて鍵付き。貴重品入れは100円を入れて戻る仕組み。取り残しの100円があったので頂いた。風呂代は350円になった。出ると食堂があった。日替わり定食680円、アフターコーヒー150円。意外にうまかった。12時、そろそろ出発。いつも買い物をしていたマルシェは潰れてパチンコ屋が出来ていた。食料は羽咋で仕入れることにした。砂浜に出る。気持ちがよい。水が少なかったので川も渡れた。13時22分、二つめの川も渡る。先端部が渡りやすい。三つ目の川もOK。滝岬の松がかなり伐採されていた。14時10分、滝港。ヨットハーバーになっている。メガネをかけた人に呼び止められる。金沢のTV局を退職したところ。昔、東北まで歩いたことがあるという。お茶でもと言われたが、時間も遅いし、遠慮した。富山のBBTの人とも知り合いが多いという。やばい。郊外に大きなスーパーができて、羽咋駅前のマルシェも潰れたという。15時52分、砂浜沿いに行き、羽咋川のところで橋に向かう。17時、おばあさんに道を聞き、やっとスーパー、なんと立て替えられて、モダンなデザイン。能登牛を張り込む。3300円ほど使った。水3リッター確保。これから寝場所を探す。町中を抜けるとき、GPSは便利。千里浜レストハウスより5〜600メーターの所に板張りの休憩所あり。一度防風林の中に張るが、誰も来ないし、休憩所の中にテントを張る。車がうるさいがどうにもならない。高波の恐れがあるので、海の傍では寝たくない。18時50分、遅くなったが、夕食。メニューは能登牛のステーキ、オニオンサラダ、お袋の野菜豆のパック、紀文の餃子。能登牛は物足りなかった。デザートの丸ごとバナナが非常に旨かった。



千里浜


5/6(金)晴
道路の音は夜中までうるさかったが、結局良くねた。5時半に起き、6時、二杯目のコーヒー。6時45分出発、7時半、トイレがあった。もう一度入り、水2リッター確保する。7時55分、出浜。店が並んでいる。8時半、千里(ちさと)。エビの珍味をみんな食べてしまう。あまりパワーがでない。8時50分出発。11時10分、道の駅高松、高松レストハウス、ミックス定食780円、疲れて足が痛い。途中から急にバテがきた。コーヒーも追加で250円。割にうまかった。高松あたりでJRに乗ることにした。このレストハウス、一度来たことがある。12時出発、12時55 分、高松駅。すぐに快速があり、乗り継ぎもものすごくよく、自宅到着は2時半。紫外線で焼きまくったので、腕の乾癬は完治、ざまあみろだ。しかし、足首と腰に汗疹がたくさん出来た。足の豆もひどい。何でもトレードオフはあるさ。一週間の治療費は交通費込みでも2万円かからなかった。

今回の大失敗、ソックスが厚すぎた。油断大敵。





2005年4月



安房岳付近、強風


今年の屋久島は失敗。奥様を連れて行ったので身重、しかも、かなりの残雪がある。数日、麓でハイキング、体を慣らしてから登ったが、少しスピードが足らなかった。初日はヤクスギランドの見学、淀川小屋。ここでテント泊で遊ぶ。残雪が多いという情報、縦走を中止。ピストンに切り替える。午前中は天気が良かったが、昼近くに強風。栗生岳は吹雪。パン、チーズ、サラミを囓り、下山決定。花之江河は雪景色。淀川小屋付近も真っ白。 今度は一人で地獄の夏に行くか。





淀川小屋近く。ここの景色は何度見ても素晴らしい。


花之江河、天気は良かったが、この後、急速に崩れた。


朝、起きてみると、周りは真っ白。登山道も凍結していた。

印税で買ったぞ!

Hilleberg Akto



2005年2月



立山少年自然の家のチャレンジキャンプ


昨年、床の断熱と食事の件でうるさく言ったので、今年はガキどものテントマットは二重。タンパク質、野菜も大奮発。メシもパックではなく、米から炊くようになった。おかずはカレーパックにハンバーグと野菜、朝食もパンにウインナとチーズ、バナナ、レタスと豪華。なかなかのデラックス・キャンプになった。マットを二重にしたので、背中の冷えは全くなく、幸せに生活できたようだ。オレは皆さんの幸福に役立っているのだ。

しかし、自分の幸せも大事なので、100メーターばかり離れた林の中にテント設営。ウインナと野菜の中華炒め、餃子20個、お豆のパック、カボチャスープ。朝食はピザとレギュラーコーヒーとプルーンと追随を許さない。何と言ってもキャリアが違う。

テントでくつろいでいると女の子が一人近づいてきた。
「いつもいるの?」
うーん、いつも住んでいる訳ではありません。するどいガキだ。



来拝キャンプ場から城前峠を目指す。


大辻山への登り1120メーター地点。


二日目は単独行動。水を3リッターもらい、7時50分出発。炭焼き小屋方面まで雪の中を突っ切る。昨日の圧雪の後には30センチばかり雪が積もり、スノーシューズがはずせない。8時半、やっと城前峠、ここから圧雪の後なく、スノーシューズに延長テールをつける。長尾峠10時40分、まったくトレースなし。積雪3メーター。奥 長尾山11時36分、疲れる。ただ、何度も来て杉の形を憶えているし、GPSも正常駆動。ガスが出ても迷わない。12時16分、標高1120メーター地点に到着。二本の折れた杉の所で昼食。大辻山山頂までは一時間はかかる。十分運動したし、ここで止めることにした。パンとチーズとプルーンで昼食。12時40分引き返す。長尾峠13時40分、城前峠14時40分、キャンプ場着15時10分。7時間雪の中で行動した。



チャレンジキャンプの中心


去年も参加したガキに会った。
「短パンの人?」と聞かれた。
一年もたってまだ憶えているのかよ。成長の遅いガキだ。まあ、去年は昼でもマイナス7度だったからな。



2005年1月



なぜか、バスの運ちゃんとはウマがあう


ニュージーランドでトレッキングをやるため、下調べに行った。パック旅行。テントは要らないので、デイパック一つで、ふらりとジャンボ機に乗った。高級ホテルに連泊で、美味しい肉を山ほど食ったが、かなりのハードスケジュール。延べ3000キロをバスで走った。



イエローアイズペンギン


オタゴ半島で絶滅危惧種のペンギンを見た。4000羽しかいない。夕方しか見られないという情報。説明を30分聞き、小さいバスでペンギンの住処へ。150mm(300mm相当)ズームが役に立った。この旅行のため、カメラをオンリパスE-1に替えた。その後、ラーナック城へ。



ラーナック城


ハギスという儀式


ダニーデンはスコットランド系の町。スープの後、ハギスという儀式に参加した。給仕の役。英語が分からない。現地の添乗員も分からない。スコットランド方言だったようだ。余興をやって食事にありつく。夕食は少ない。11時近くに終了。風呂に入り寝ると12時。日没は9時半なので疲れる。



ダイキリ渓谷鉄道


乗っているのは観光客だけ。デッキから写真を100枚くらいとる。カメラマンと間違えられた。渓谷といっても、黒部渓谷とは比べものにならないほど、穏やか。



ミルフォードサウンド


クイーンズタウンからバスで4時間半。説明の掲示板は英語、ドイツ語、中国語、日本語と多言語。アメリカ人に掲示板の文字の質問を受ける。いい加減な片言英語で説明。遊覧船では1時間半デッキで頑張り、100枚以上激写。デジカメは便利。また4時間半バスに揺られる。



プカキ湖


マウントクック手前のプカキ湖。氷河湖で、水の色が青く澄み切っている。確か、魚も住んでいないと聞いた。



マウントクック手前の氷河


有名なハーミテージ・ホテルで豪勢な昼食。肉も野菜もケーキもうまかった。バイキング。時間がない。ブッシュトラックに向かう。一時間コースを25分で片づける。ホッカーバリーに向かう。超高速で歩く。キャンプ場手前5分の所からの写真。



テカポ湖のお土産品店で、売り物の毛皮の上でお休みのご婦人。


アウトレットの店に入ると、インスタントコーヒーとクッキーのサービス。かわいい猫が売り物の毛皮の上で寝ている。おみやげにマヌカハニー#15の25ドルもする物を買ってみた。健康食品のようだ。



ウェリントンの町並み


首都ウェリントンの町並み。一時間くらい散歩できた。観光客が多い国際都市。パブは賑わっていた。アメリカ人らしい人に声をかけたらニューランド人という返事。ノープロブレム。





トンガリロ国立公園リッジトラック


トンガリロはグランドシャトー・ホテル泊。夕食前にリッジトラックを歩く。翌朝も5時に目が覚めたので、雨の中、1時間半ほど散歩した。





こんな人、従兄弟にいるかも




村上家好みの美人。


好みの美人が多い。




タウポ湖の朝(火山性の水蒸気、朝靄ではない)


ロトルアでは定番のマオリショーを見た。マオリショーは良かったが、料理は最悪、パンはまずくて誰も食べない。ハワイアンのリズムと共通性があった。ハカという戦いの示威行為は歌舞伎の見栄とも似ている。村上水軍にはポリネシア遺伝子がかなり流れ込んでいるようだ。





ニュージーランド航空、ビーフ弁当




ニュージーランド航空、チキン弁当




ニュージーランド航空、フィシュ弁当


ニュージーランド航空のメシは旨かった。タダだから帰りにワインを三杯飲んだら頭痛でダウン。パンフには飛行機ではアルコールを控えましょうと書いてある。しかし、ワイン、ビール、コーヒー、ジュース、緑茶、紅茶、水、をどんどん持ってくる。アイスクリームも旨かった。缶ビールは3種類、ワインは5種類。どうなっているんだろう。

今回の優れもの

オリンパスE-1

2004年9月



ニセコアンヌプリで足慣らし

校正と原稿書きから逃れるように、トワイライト・エクスプレスで奥様と一緒に逃避行。まず、倶知安の公園に居を構え、足慣らしにニセコアンヌプリに登った。そこそこ歩けたが、二人とも調子が悪かった。一日、休養し、羊蹄山アタックのために、半月湖畔の駐車場にテントを移す。ぐっすり眠れるはずが、夜中に肝試しの連中が来て、大騒ぎ。どうもここは駄目だ。

6時前、5.5リッターの水をもって奥様とアタック開始。5合目8時30分、7合目9時35分。犬に追い抜かれた。登山犬らしい。8合目10時10分。犬が茂みから現れた。「喉、乾いただろう。ハイ、飲め。」と言う。単独だったらしい。犬の野郎、嬉しそうに手から水を飲む。こぼすので、岩のくぼみを器にした。「もういい加減に下りろ。水筒持たないで登山する馬鹿があるか。」犬はオシッコをして、シッポを振って下って行った。みんな登っているから自分も登りたくなったらしい。

11時30分、羊蹄山のピーク。晴天で倶知安の町が見下ろせる。奥様もなんとか登れた。百名山だが、標高差1700メーターのピストンなので登山客は少ない。昼食をとって下山開始。7合目13時10分、4合目14時30分、奥様のエンジンが切れた。惰性でテント場着16時。休憩してバスで倶知安に移動。生協でにぎり寿司を6パック相当分買って、みんな食ってしまう。倶知安はおいしい。

体調が悪いので、ニセコ縦走は無理と判断し、一日休養して、バスで神仙沼、長沼見学に連れて行った。それほどご機嫌麗しくはなかった。温泉で太鼓の先生の六さんと裸で話。90歳という。倶知安のじゃがいも祭りの立役者。JR倶知安駅の100周年記念では、羊蹄山のてっぺんで、ドカドカ太鼓を叩いたそうだ。

最終日、札幌の大丸の食い放題にチャレンジ。ちょっと買い物をすると、奥様の機嫌も治った。何と言っても、倶知安はおいしい。宿代もタダ。温泉もある。また行くか。

今回の優れもの

プチ蚊取り

集団登山指導者研修会はこちら



2004年7月



上市の裏山---高峰山

執筆が進まず、死にそう。立山少年自然の家の会議があったので、前日の昼に上市の大岩から歩き始めた。まっすぐ釜池に行けば良かったが、浅生の集落から登山道へ。100メーター進むと地形が地図と違う。GPSでチェック。登山道がもう一つあった。引き返し、500メーターくらい進むと行き止まり。駄目なので再び引き返し、林道経由で骨原まで歩き、林道からアプローチ。標高600メーター地点4時。釜池は林道から細い道を入り、登って、かなり下った場所。すり鉢状で何もない。でかい魚が泳いでいた。クマしかいない。笹百合が綺麗。

テントを張る場所はあるが、水が汲めない。作業小屋があった林道まで引き返しテント設営。5時40分。大きな水溜まりがあったので、浄水器で3リッターほど飲み水を作る。夜はウィンナのピラフ、餃子、きんぴら、カボチャスープと山盛り。地元の人が笹百合を刈って車で通る。驚いて声も出ない。どうなっているのか。花がなくなってしまう。体調が悪かったので、なかなか寝付けず、心拍も高いまま。鳥や猿が騒ぐ。どうもおかしい。10時頃、テントの傍で、ドスンドスンと足音がする。「うるさいな。寝られないだろう。」というと静かになった。すぐにぐっすり寝てしまった。聞き分けの良いクマさんだった。

明け方から雨、5時に起きて、パンとプルーンで朝食、本降りだったが6時半過ぎに出発、すぐに雨は上がり、高峰山山頂7時半。時間が早いので新しいバックパックを撮影。休憩する。7時50分出発、8時20分に林道に合流。立山少年自然の家の会議は1時半なので、早すぎる。大辻山の北尾根から縦走し、山頂10時半。カメラのレンズが曇ったので乾くまで休憩。ケーキとクリームチーズの昼食。10時55分下山開始、12時林道に合流。浄水器で水を1リッター作る。速歩モードに切り替えた。体調は回復して不死身モードになっていた。12時45分立山少年自然の家着。体を拭いて、会議に出席。

「真夏のチャレンジ」で、前回「バイクの走りが中途半端。県境から県境まで走らせろ。」と無責任発言したが、マジに計画が変更になっていた。もう一つ、自然への感性を養うのが目標なら森の中でビバークさせろと無責任発言。「森の冒険王」ではガキどもにビバーク体験をさせることになった。大丈夫かな。ボランティアが泣くかも。

オスプレイ、クレッセント90はこちら

2004年4月



ご存じ、縄文杉
1st stage

ストレスが溜まったので、屋久島病院に入院した。長期予報によると、二日間晴れが続く。初日はタクシーで白谷雲水峡まで行き、白谷小屋近くでテント泊。ワンゲルが二パーティいた。二日目はまっすぐに縄文杉に向かう。途中から本格的な雨。休憩所で寝ても良かったが、まだ昼過ぎ。一人だったのでピッチが速い。新高塚小屋に行き、外にテントを張る。雨。



「ふふふ。食料は5日分持っているからね。」

三日目、雨は上がらない。長期予報は嘘ばかり。停滞を決めて、文庫本を読む。静岡から来た登山家はひとまず下りて、淀川方面から登り直すとのこと。一週間の予定で来たそうだ。午後、東京のベテランの登山家が宮ノ浦岳を縦走してきたが、何も見えなかったという。一時雨が上がったので無駄話。夕方、アルパインツアーの人たちが登ってきた。メンバーは10名ほど。ガイドは2名。地元のガイドによると、30年ぶりの大雪。花山歩道は雪が一メーター、永田歩道も雪と倒木でお勧めではない。困った。今回は永田岳経由で永田歩道を歩く予定だった。夕方には小学生の団体も到着、山小屋は満員。水場の側にテントを張ったのはまずかったが、引っ越しが面倒。



恐ろしげな永田岳。天気が良ければガキでも登れる。

四日目、4時半くらいからトイレに行く人が多い。5時半に起きてしまう。アルパインツアーは出発準備中。今日は晴天の予定。6時40分出発、平岩まで雪とブッシュのひどい所があった。強風とガスが治まる。永田岳が綺麗に見える。分岐でアルパインツアーに追いつく。永田岳ピストンをやるそうだ。主体性がなく、直ぐ迎合。荷物をデポしてウェストバッグ一つで登る。永田岳は見るからに恐ろしい。しかし登ってみると実に簡単。丘陵地に大きな岩が転がっているだけ。下ると静岡から来た登山家と会ってしまう。野球選手のような立派な体格。ツアーの人と相前後して縦走。ツアーの人たちは石塚小屋まで。淀川小屋までは遠い。ガイドにテントがはれそうな場所を聞くと、花之江河(はなのえごう)の傍を教えてくれた。水場は直ぐ傍、周りは木で風が当たらず、下は砂地、天国のような、実に素晴らしい場所だった。15時半テント設営。たっぷり食って10時間は寝た。



世界遺産のど真ん中、エアポケットのような場所。

五日目、また雨。6時40分出発、安房歩道経由でヤスクギランドに向かう。丸太一本の橋があり、怖かった。小屋手前の水場でアルパインツアーの人と会った。ツアーの人たちは淀川歩道経由で下山するようだ。ガイドが「安房歩道はお勧めできません。情報はどこで得られましたか。」と聞く。「なあーんにも。」と答える。昨年、大きな木は切って整備したそうだ。目印のテープもあるし、GPSも今年は正常動作。睡眠も体力も十分。岩場は怖いが藪は怖くない。安房歩道を下ることにした。「登山届けは出しましたか。」「ぜーんぜん(奥様には携帯で連絡したからすぐ指名手配されるけどね)」「遭難した時は私が探します。お名前をお聞かせください。」と来た。嬉しいねえ。お礼を言って分かれた。無届け単独登山は危険。脚を挫くと即遭難だ。だから一歩一歩、慎重に歩く。安房歩道は前半は特に危なくもなかった。倒木は計10本くらい。1〜2本が大いにじゃまだった。しかし、大和杉辺りは倒木だらけ。登山道も荒れていて、時間がかかった。14時50分、ヤクスギランドバス停に到着。3時18分のバスで下山。



原生林。なぜか懐かしく感じる。古代の記憶だろうか。
2nd stage

蛇ノ口滝と尾之間温泉



鬱蒼とした原生林の中に突然現れる。

疲れたのでテントで寝たきりと思ったが、晴れ。迷ったが出勤に決めてバスで尾之間(おのあいだ)へ。蛇ノ口滝ハイキングコース。楽勝と思ったが道は登山道と変わらない。往復5時間かかる。川を渡る時、岩がぬるぬるすべすべ。危ない。しかし、蛇ノ口滝は良かった。いきなり原生林の中から現れる華麗な滝だ。尾之間温泉もたったの200円。アルカリ質ですべすべの熱めの温泉だった。

愛子岳



九合目から核心部を眺める。写真では分からないが、45度から60度の恐怖の岩場。

雨で一日寝たきり。たっぷり食ったし、イギリス人のお姉ちゃんがいたので元気になった。次の日は快晴。バスで小瀬田へ出勤。愛子岳までコースタイム3時間程度。林の中の快適な登山道で順調に高度を稼ぐ。全然、問題なし。登山者もなし。しかし、頂上直下で茂みが無くなり、急勾配の岩山になった。いきなり身ぐるみ剥がされた感じ。足下は1200メーター下。メチャクチャ怖い。ロープ二カ所。マークがないので自分でルート判断。いやあ素晴らしかった。怖いので頂上でしっかり休憩。ゆっくり下りてバスでテント場へ。

千尋滝



屋久島で二番目の規模の滝だが、印象はもう一つ。

なんで晴れるんだよ。晴れると出勤しないといけない。バスで原(はるお)へ。千尋(せんぴろ)滝見学とする。モッチョム岳に登っても良かったが、最後に三級の岩場がある。脚もボロボロだし、冗談じゃない。行くとしても展望台までだが、遠慮しておいた。千尋滝は規模が大きいがバスも行く。あっけらかんとしてもう一つ。休憩所で飲んだたんかん(オレンジとミカンの合いの子、屋久島名物)ジュースは旨かった。すたすた歩いてトローキの滝、有用植物リサーチパークを見学。今日は観光客モード。毎回、同じバスの運ちゃんに会い、顔なじみになってしまう。テント場に戻るとイギリスのお姉ちゃんが戻ってきた。「ダン!」とか叫んでいた。話を聞くとヤクスギランドから安房歩道を登ったらしい。「ベリ・デインジャラスよ」と言っておいた。あそこは何も知らない外人と俺しか通らないのよ。

楠川前岳

晴れが続く。バスで白谷雲水峡まで行き、楠川前岳へ向かう。地図には林道が頂上まで通じているようにかかれていたが間違い。途中から道無き道となる。登山用のテープだけが手がかり。GPSもフル出動。危ない崖を横切り、頂上まで約150メーター、高度940メーター地点まで到達したが、散歩に来ただけだし、止めにした。引き返し、楠川歩道経由で下山し、テント場まで歩く。楠川歩道は二度目で懐かしかった。

人も猫も



キャンプ場の猫、山猫の血が濃いようだ。


「写真はだめだめ。ボク、恥ずかしーい。」

家に帰るのは嫌だようと思いつつ、ぶらぶらと港に向かう。 「ふにゃああ、にぁああ。ふーんにぁああ。にあぁああ。(お早う、いい天気だにぁあ。どこから来たんだよ)」と声がした。でかい雄の虎猫だ。 「富山からだよ。帰りたくないんだけどな。」 「ふにゃああ、ふんにぁあ。にあぁああ、ふにゃああ。(遠い所から屋久島などに来てくれて有り難う)」 「また、来るよ。いい所だからな。そうだ、ちょっと写さしてくれ」 「にぁん(だめ)」 カメラを向けると、この虎猫は直ぐに姿を消した。屋久島の猫は人と変わらない。よく口を効くが恥ずかしがり屋。

epilogue

野々湯温泉



霧島国立公園で、最大、最安の温泉はココだ。

昨年と同様、ニコ中・アル中で蒸し料理の鉄人の従兄弟と野々湯温泉で一泊した。キャンプ料金は1300円。バックパッカーには高いがオートキャンパーには格安。駐車料金も温泉料金もぜーんぶ込み。癖のない綺麗な温泉で、24時間入り放題。高温の火山の水蒸気を利用した蒸し料理施設も完全解放。従兄弟が入り浸るのも分かる。ちなみに敷地は15万坪。食堂も宿も格安。車のないバックパッカーは、電話をすれば鹿児島空港や霧島神宮まで迎えに来てくれる。社長も従業員も人情があって良いぞ。

今回の優れもの

GPS map21EX。故障続きだったが、今回は森の中でもローケーションはOK。狭い谷間のみ不可。5分ほど点けていると、位置は正確。コンパクトフラッシュに入れた5万分の一地形図も見やすかった。

イスカ、マップケース。アウトドア道具考を読んで改良したらしい。チャックを廃止してベルクロにして使いやすい。

防水携帯R692i+ソーラーギアはgood。雨の中で平気で電話がかけられるし、能率は低いが太陽電池で充電も可。安心感一杯。



2004年1月

城前峠にて(2004年1月11日)

年末に奥様を九十九里浜に連れて行き、5泊6日のバックパッキングは楽しんだが、どうも運動不足で肥満気味。それで立山少年自然の家のチャレンジキャンプに遊びに行った。正式に届けを出したので、「視察」というお仕事。

初日は、顔合わせの後、退屈なのでさっさと越前峠に行き、荷物をデポして、来拝山を往復。雪が少なく、往復一時間もかからない。MSRのスノーシューは使いやすかった。帰ってくると、ガキどもがテントを張っていた。夕食はカレーのヒートパック。そんな物食えないので、一人でステーキを焼いた。餃子とお豆さんにカボチャスープ。グリコの餃子は意外にいけた。夜は吹雪。夏用テントだったので、風通しがよかった。

二日目も単独行動、長尾峠までスタスタ歩き、30分くらい大辻山方面に登ってみた。スノーシューズはMSRアセント+延長テール。雪は多かったが、ふくらはぎまでしか潜らない。行けそうだったが、大辻山往復は5時間くらいかかる。次の機会にした。長尾山経由の尾根ルートで戻る。氷点下7度だったがショートパンツで行動した。途中、ガキどもが昼食中。休むと急激に冷える。テント場着、一時半、レギュラーコーヒーを入れ、ミニケーキを食べ、読書。夕食はガキどもはどんぶり物のヒートパック、不味そうだった。ただ、豚汁は旨そうだったから二杯いただいた。一人でウインナと高菜のピラフを作り、餃子その他を山ほど食べた。晴天になり、夜はマイナス8度まで下がった。

三日目、ガキどもはかなりお疲れ。飯も食わずにテントを撤収。立山少年自然の家で朝食だそうだ。そんな習慣はないので、テントで朝食をとり、ゆっくり帰還。相変わらず、ショートパンツとスパッツ。少年自然の家でコーヒー、朝風呂を頂き、車で千垣まで送ってもらう。その上、日当、交通費も出る。「視察」くらい良い仕事はない。視察委員として食い物の悪口を山ほど言っておいた。来年からヒートパックは禁止だ。



2003年10月

立山へのアプローチ(2003年10月11日)

立山に行って奥様と一緒に紅葉を楽しむことにした。二泊三日、二人分の豪華な食料で、バックパックの重量を久しぶりに量ったら30Kg。特に重いとは思わなかった。グレゴリーは重量物運搬向きのようだ。弥陀ヶ原から獅子が岩経由の研修ルートで雷鳥沢のキャンプ場へ。初日は晴れて最高だった。温泉もばっちり。

天気予報は大外れ。二日目は雨。朝食後、小雨になる。雷鳥沢から最短距離で一ノ越まで散策することにした。大きな雷鳥が四〜五羽、人も少ない良いルートだった。一ノ越に行くと風雨強。登っている人もいたが、一時間模様眺め。再出発、5分登ると猛烈な風雨。即撤退と決定し、ぶらぶら歩き。再び、雷鳥が四〜五羽いた。雷鳥は増えたようだ。室堂山荘に行き、パンを少し囓り、リッチにコーヒータイム。心配したけど、割に美味しいコーヒーだった。尾根道を散策し、雷鳥沢ヒュッテで温泉。また、立山ガイドの人と会ってしまった。

夜中から明け方は暴風雨。テントが変形し、頭のすぐ上まで来る有様。シェラデザインズ、オライオンASTなので、不安は感じなかった。地獄谷経由で室堂まで歩き、バスで弥陀ヶ原へ。レーダー画像を見ると雨雲がびっしり。奥様には秘密。弥陀ヶ原から木道をぶらぶらと歩いた。景色はまずまず。ただし、木道が歩きにくい。二度滑って、派手に転んだ。雨の木道は危ない。弘法まで歩くと、美女平までコースタイム4時間と標識にあった。奥様がキレル。やむなくバスで美女平へ。まんじゅうが心残りだったが、即、ケーブルで立山駅。便利になったものだ。



2003年8月

ニセコアンヌプリにて(2003年8月1日)

ステージ1 倶知安の旭が丘公園にたどり着くと天気は下り坂、雨になる。次の日も雨。しかし、天気は回復予定。羊蹄山麓の半月湖駐車場にテントを移す。夜の間、雨が降り続いた。レーダー画像を調べる。1〜2時間で雨雲が消えるはず。午前5時半、軽装でアタック開始。雨が本降りで躊躇したが、1時間ほどで止んだ。11時頃、1893メーターの頂上。快晴、弱風。鉢回りを敢行。岩場に難しい所はない。12時下山開始。2時40分テント場に到着。1500メーターの標高差を2時間半で駆け下りた。我ながら驚いた。まんじゅうとコーヒーで贅沢なティータイム。誰もいないのでもう一泊。

ステージ2 朝、晴天、9時過ぎのバスでニセコに移動。生協で食料を4日分仕入れる。昼頃、ニセコいこいの村へ。ゴンドラで1000メーター地点まで行く。50分歩くとニセコアンヌプリ。下山は五色温泉へ。きれいなキャンプ場だったが、10時過ぎまで外人のグループが騒ぐ。女のガキが2時間おきに泣き出すし、母親もヒステリックに叱る。最悪のキャンプ。

小雨の中、8時出発。9時45分、イワオヌプリ山頂。お鉢回りもやった。下山すると雨が本降り。11時半、ニトヌプリ山頂、12時20分、舗装道路に合流、土砂降り。チセヌプリへのコースを諦める。1時45分神仙沼。雨が上がった。3時、休憩所。トイレは改築。5時に閉まるので水を3リッター確保。展望台にテント設営。少し客が来たけど、夜は誰も来ない。

次の日も雨、6時40分出発、7時20分、長沼。9時、シャクナゲ湖、岩の道で非常に歩きにくい。11時過ぎ白樺山、風雨強。12時、舗装道路へ。目国内岳の登り口の駐車場。トイレはあるが水がない。目国内岳ツアーと表示したバスが一台。12時半、テント設営。雨がひどい。コーヒーを飲み文庫本を読む。4時半、雨が上がった。浄水器で側溝を流れる雨水から飲み水を3リッター作る。浄水器のポンプが不調。狐が来たが、石を投げて追い払う。

次の日、6時20分出発。ガスの中。天気予報とレーダーによると、晴天になる。蚊が多い。7時半、前目国内岳、8時、岩の門。9時10分、目国内岳山頂。晴天。羊蹄山まで見渡せる。岩場は短くで易しい。高度を下げるとブユと蚊だらけ。雨具のズボンを着る。10時半パンケ沼。水を1リッター確保。お花畑がきれい。11時45分、岩内岳分岐。12時40分、水場で2リッター確保。1時40分、五つ沼、晴天でテントを張るには早かったし、ウンコ(狐ではない)があった。おもしろくない。朝日温泉までコースタイムで4時間。歩くことにした。2時20分、雷電山。蚊とブユがいなくなり短パンになる。2時50分、前雷電。4時30分、中山。5時40分、朝日温泉到着。11時間歩いた。ところが朝日温泉は休業中。雷電山に熊出没との看板。空き地にテント設営。浄水器で水を3リッター確保。川の傍の温泉に入る。晩飯は7時半過ぎになった。

さぼる力、寝る力、食べる力に温泉の力をプラス。生きる力が充実した。

次の日、5時前に目が覚めた。朝風呂に30分ほど入る。熊も人もいない。7時10分、出発。8時20分、雷電温泉郷に到着、予定終了。バスで岩内経由で倶知安へ。JRの駅でトワイライト・エクスプレスの予定変更。明日の個室が空いていた。

エピローグ 10時過ぎ、札幌駅到着。大丸の探検。11時前、8階に行列。最前列の人に聞くと、昼食バイキングで美味しいという。おおうと海賊の血が騒いだ。11時15分入店。贅沢にドリンクをつけても1580円、90分一本勝負。品数は50以上。100人程度はいる大きな店。20センチくらいの中皿で8杯平らげた。普通の人の倍は食ったが、70分でリタイア。函館まで寝たきり。持ち込んだ弁当もあまり食えなかった。昔なら胃に入った物はすぐに溶けた。歳だな。ちなみに、大阪駅前の回転ゴンドラのある阪急ビル(乗り場の向かい)には950円バイキングがある。品数は少ないが美味しいぞ。







2003年6月

僧ヶ岳中腹にて(2003年6月6日)

シェラデザインズ(アメリカ)のホームページで良さそうなテントを見つけた。HyperLight AST(2Kg)。さかいやにメールを入れても返事がない。輸入代理店に直接電話を入れて売れと直談判。さかいや経由で買った。なんと日本には10張り程度しか輸入予定がないという。本格的山用テントらしい。気がついてみると、ピラミッド(3人用、3Kg)、オライオンAST(2人用、2.5Kg)、ハイパーライトAST(2人用、2Kg)、ディパインライトニング(1人用、1Kg)とすべてシェラデザインズだ。

立山少年自然の家のファミリーキャンプの視察(仕事だぞ!)でテストしてOK。大学祭の時に遊びに行かないと死んでしまうので、奥様を僧ヶ岳に連れ出した。初日はベースキャンプ設営。サルどもが興味津々と近づいてきた。二日目に軽装でアタック。アイゼンを持って行ったが、気温が高く雪渓の表面が柔らかくて出番が無かった。頂上には富大のワンゲルが大勢いた。奴らも考えることは同じ。下山して、テントにもう一泊。三日目に宇奈月まで下った。宇奈月の安くて旨い食堂に入ったが、5年ぶりでおばさんの腕も落ちていた。残念だ。



2003年3月

西部林道(屋久島)にて(2003年3月27日)

ストレス病の奥様の治療のため、屋久島登山。初日は白谷雲水峡入り口のトイレの上の展望台でテント泊。パックパックは二人分×四日分の食料で30キロはあった。次の日から原生歩道を引き回し、山越えして縄文杉へアプローチ。さすがにばてたので、休憩所でテント泊。三日目は雨で三時間ほど歩いて登山道でテント泊。四日目は晴天、宮之浦岳を縦走、淀川小屋の側でテント泊。五日目にヤクスギランドまで歩き、バスで下山。

安房で食料調達、バスで海中温泉を目指すが、同上のおばさんの薦めで湯泊温泉へ。行ってびっくり。堤防の内側にプレハブの脱衣所、温泉は海の傍。露天で混浴(低い仕切りはある)、素っ裸のギャルつき。タダだし、湯泊温泉は良いぞ。気に入った。風呂と洗濯。その後、タクシーにタダで便乗し、栗生の青少年旅行村でテント泊。

西部林道を歩いていた時、マウンテンバイクの大学生が「お願いがあります。」とまじめな依頼。チェンが外れて、どうしても戻らないという。手は油で真っ黒だった。落ちていた棒切れを拾い、フロントとリアのギアをトップにして、ペダルを回す。棒きれでチェンを突くだけだ。10秒かからない。大学生はびっくり。「人家もないし、食べ物も持っていないし、夜を過ごすことになったらどうしようかと思っていました。勉強になりました。ありがとうございました。」という。まったく近頃の大学生は勉強しないからな。

奥様の歩く速度が遅く、午後3時、危ないと思ってテントを張った直後、猛烈な雨。さすが屋久島。次の日、永田に着き、公衆電話を探すが、すべて撤去されていた。J-phoneは圏外。奥様は店の電話でトッピー(鹿児島までの水中翼船)に予約を入れるが三日先まで満員と断られる。疲労も重なり、奥様が切れる。もちろん、普通のフェリーはあるのだよ。

再び、宮之浦まで戻り、テント泊。さらにスローな旅になった。鹿児島の従兄弟に電話すると、「お前か、お前のせいでオートキャンプのプロになってしまった。何十万円もつぎ込んだ。どうしてくれるんだ。」と叱られた。次の日、のんびり鹿児島に渡り、珍しくホテル泊。

国分で従兄弟たちと一緒になると、霧島の野之湯温泉というキャンプ場に連れて行かれた。オートキャンプのプロは料理の鉄人にもなっていて、温泉の蒸気を利用した蒸し器を使ってどんどん料理を作ってくれた。飲んで食って、飲んで食ってと大変だった。次の日、屋久島でびくともしなかった心臓が初めて不整脈を打った。従兄弟から逃げ出し、えびの高原へ。

キャンプ場はがら空き。広々とした松林にテントを張った。温泉もあった。次の日は暴風雨。登山は無理なので、池巡りコースを散策し、バスで宮崎まで。宮崎の従兄弟の所に一泊、西都原の古墳群を見学して、フェリーでゆっくり帰途についた。超スローな旅に奥様の神経はずたずた。ストレス病は完治。

バージョンアップしたGPSと太陽電池を持って行ったが、森の中では受信不能。まもなく真っ青になり、操作不能になった。初期不良か、故障。無用の長物だった。EMPEXが修理中。また携帯電話をぬらして潰したので、ドコモの防水携帯に変更。三回目だ。うれしいことに気象協会のホームページに携帯用のレーダー画像あり。早速、ショートカットを作った。



2003年1月

白滝山山頂(因島)にて(2002年12月24日)

運動不足病の奥様を連れてしまなみ海道をバックパッキングした。初日は尾道から因島の静かなキャンプ場。ステーキがうまかった。二日目に因島中央部の山間部を南下。すぐに奥様がばてたが、だましだまし歩いた。女連れは辛い。ミカンを拾って食うと濃厚な味で感激した。富山では金を出しても手に入らない極上のミカンだった。

因島でショックだったのは、三年ばかり前に会った人と再会し、「甥っ子に似ている」と言われたこと。黙っていたが、おじいさんは大三島出身だし、大三島の村上はすべて因島起源だと聞く。遠い親戚かもしれない。

しまなみ海道は寂れきっていた。生口島では店がつぶれていたし、大三島でも観光客が閑散としていた。キャンプ場にテントを張ったら1600円も取られた。今までは冬は無料だった。

連日強風が吹き荒れて、気温も氷点下に迫る勢いだった。六日しか歩いていないので運動不足解消にはもう一つだったが、奥様の運動不足病の治療には成功した。観光ポイントはかなり回ったし、兄貴も今治見学のガイドをしてくれた。基本的には成功。



2002年9月

奥大日岳にて(2002年8月22日)

親友のジニー君を亡くすと、頭の中心でダイナマイトが爆発したようなショックを受けた。新皮質が使い物にならない。足もだるい。愛息を亡くした奥様の症状も同じ。体を動かして免疫力の低下に対抗することにし、奥様を北海道に連れ出した。天気がイマイチだったので、礼文島で足慣らし。利尻岳には最終日にチャレンジした。強風だったが、鴛泊コースは快晴(沓形コースは土砂降り)、登頂成功。帰りのトワイライトイクスプレスの寝台(ロイヤル)はシャワーとトイレ付き、安物ワインと朝のコーヒーサービスもあり、感激。癖になりそう。

写真は奥大日岳の山頂で撮って貰った。背景は剣。立山少年自然の家の集団登山研修の企画に外部評価委員として参加(仕事だぞ!)。初日は足慣らしで弥陀ヶ原から雷鳥沢まで、二日目は立山から別山を縦走し、剣沢へ。三日目は雷鳥沢まで戻って皆さんと別れた。四日目は一人で大日を縦走した。皆さんは山小屋泊まりだったが、重荷を背負ったほうが体に良いし、ずっとテント泊。久しぶりにオスプレイのバックパックを使った。使いやすさを実感。道具考補足



2002年7月

気力がみなぎっていた頃のジニー君(1992年8月、11歳半)

2002年7月21日、午前11時50分、腎不全のため、村上ジニー君が死去しました。享年21歳5ヶ月(推定)。ここ2週間あまり寝たきりの状態でした。ドライフードの投与と点滴で無理に生かし続けたのですが、限界でした。ジニー君の遺体は城山の裾野に埋葬し、庭の寒椿を1本移植しました。もし、ハイキング中にきれいな寒椿を見たら、ジニー君を思い出してください。



2002年4月

九十九里浜にて(2002年3月28日)

九十九里浜バックパッキング

最近、仕事が忙しく、ジニー君の問題もあり、近場で済ませました。学会の用事で東京に行き、即、特急で千葉の大原に行ってキャンプ。翌日は暴風雨でびしょぬれ。いよいよディアブレックス・レインスーツも買い換えです。

体調は最悪で歯肉が腫れ始めの所を抗生物質で抑えたつもり。途中で歯医者に行き、薬を追加。しかし、治らず、尖った歯ブラシで血が出るまで磨いたら治りました。薬は大してきかないと実感。

荷物は少なめだったのに荷が重くてたまらない。3日で歩けるかと思ったが、一週間遊んでしまった。しかし、いつまでも続く砂浜を一人でゆっくりと当てもなく歩くのは最高です。途中、国民宿舎で昼飯を食ったら800円で5品も出てきて大満足。千葉県は田舎で物価が安いようです。

今回はオモチャを二つ持っていきました。一つはmap21という地図が表示できるGPS、もう一つは太陽電池パネル。電源確保のためです。いやはや性能にはびっくり。詳しくはこちら。

背広姿が見たいですか?



2002年1月

ハブの山、湯湾岳にショートパンツで登ってしまった(2001年12月30日)

湯湾岳(奄美大島)

二週間姿をくらまし、大阪からフェリーで奄美大島へ。名瀬から反時計回りに歩き、大棚から山へ向かう。林道脇でテントを張り、次の日に登頂。誰もいなかった。ハブは寒い日は出ない。その後、湯湾に降りて食料調達、変なおじさんの車に乗せられ、沈没船から廃品回収の手伝い。やむを得ず、篠川までショートカット。ヤドリ浜までは歩いた。その後、住用までバスでショートカット。東城から林道経由で名瀬に行こうと思ったら、地図にない林道に迷い込み、2時間も遊んでしまった。引き返し、バスを待っていると、車に拾われ、名瀬に瞬間移動。どうせならと食料を仕入れ、北のアヤマル岬までバスで移動。その後、三日歩いて名瀬に戻った。島の北側では強風。南はべたなぎの海峡と100メーター以上のアップダウン。もっと南のカケロマ島で遊ぶ時間がなかったのが残念だ。人は親切で、何してるのとか、どこに行くのと、ハブ同様寄ってくる。神戸出身のおばさんは孫と嫁を連れて散歩中。「愛していると言われたので結婚したのに、勝手な人で子供を残して一人であの世に行ってしまった」と憤る。みんなで奄美の歌を歌ってくれた。愛する男が鹿児島に帰ってしまうという悲しい歌だ。奄美への旅行は要注意。骨を埋める人もいるようだ。



2001年10月

駒ヶ岳から眺めると、毛勝、剣、槍がほぼ並んで見える(2001年9月23日)

駒ヶ岳(富山)

運動不足解消のため、ワンパタンのトレーニング山行き。一日目は東蔵(魚津)から林道を3時間、登山を開始して4時間程度で剣見の池でテント泊。日が暮れると気温は氷点下まで落ち込んだ。二日目は、僧ヶ岳頂上まで1時間。荷物を置いてグレゴリーサミットで駒ヶ岳往復。ハイキングコースのような立派な道ができていた。ブナオ山岳会の人が最期の仕上げ中。道を開く時は数百人が出たそうだ。物資はヘリで運んだらしい。森林公園まで降りてテント泊。通い慣れたのか、道の特徴がすべて頭に入り、体が無意識に動く。気がつくと所用時間が1時間以上短縮されている。不思議だ。



2001年8月

礼文から稚内へのフェリーにて(2001年8月8日)

利尻

利尻に渡ると天気は下り坂、雨の時に山に登ってもつまらない。まず、時計回りに二泊三日で利尻島を歩き、鴛泊のベースキャンプに入る。利尻岳に登った時にちょうど天気は回復。景色がよく見えた。往復10時間のところ7時間。物足りなかったが、買い物に町まで降りて帰ると3時間かかる。物足りた。姫沼までのハイキングコースも歩いたので、利尻には計五泊した。

礼文

香深に渡るとまだ昼。天候は回復。荷物の中身をコインロッカーに預け、まず、桃岩コースを巡り、南端を回って戻って香深に戻った。花がきれいだった。居心地がよいので香深井のキャンプ場をベースキャンプにした。次の日は礼文林道から元地。また次の日はスコトン岬までバスで行って8時間コースを歩いた。次はキャンプ場から歩いて出発、礼文岳に登り、物足りなかったので、久種湖まで歩き、買い物をして、バスで帰った。最後はもう一度礼文林道に入り、礼文滝を見て、通行禁止の海岸を歩き、香深まで戻った。礼文でも五泊した。

ほっけ

香深の漁協の販売店で生のほっけを買った。大きいのが100円。特大でも110円。特別サービスで二枚におろしてもらった。氷を入れ新聞紙でくるんで断熱。キャンプ場で塩こしょうで焼いた。うまいのなんの。とれたての生ほっけだから最高だ。熱いご飯に入れるとほっけご飯。もう何もいらないね。

反省点



2001年4月

花之江河(はなのえごう)にて(2001年3月24日)

屋久島で4泊。淀川小屋--宮之浦岳--縄文杉--白谷雲水峡を縦走。一日、雨に降られただけで、永田岳も見えたし、楽勝だった。しかし、大学生の山岳部、ワンゲルの合宿所のようでビックリ。山小屋は大混雑で学生は三時間しか眠れないと言っていた。私はテントを持って茂みに隠れたので十時間睡眠。屋久島は一通り歩いたし、種子島に渡り、南種子島と中種子島を四日で歩いた。人口密度は北海道並み。何もないが、人は親切で、海岸線がきれいだった。さらに、鹿児島に渡り、佐多岬近辺を二日歩いた。

反省

キャンプ場以外のキャンプ数8、キャンプ場でのキャンプ2、フェリー泊2。したがって、不法キャンプ率は8/10 法を守るべく最大限努力した。

帰りのフェリーで9時になっても親父二人がビールを片手に楽しく語っていたので、「うるさい。俺はもう寝るんだ」と一喝。これで止めておけば良かったが謝った時にすかさず「謝るんじゃない。寝るかラウンジに行くかどっちかにしろ。」とねじ込んだ。親父二人は怯えてその後一言も口を効かなかった。20Kg以上の荷物を背負って毎日20キロは舗装道路を歩いていたから人間ダンプカーと化していた。巨大登山靴、巨大リュック、マッチョ、ダンプのおっさん、くりからもんもん、やーさん。親父が怯えるのは仕方ないか。

フェリーの1300円の夕食バイキングで飯を食わずに、肉、野菜をターゲットに一時間がんばって食いまくったが、人の三倍くらいしか食えなかった。みそ汁、焼きそばを取ったのが敗因の一つ。



2001年1月

岩城島にて(2000年12月31日)

因島を起点に、弓削島、佐島、岩城島、生名島をのんびりと一週間歩いた。岩城島の寺は年末の準備中だった。山頂に水があるかと聞くと、お坊さんが現れて詳しい説明をしてくれた。水はあるらしい。寺の境内で400円弁当をゆっくりと食べた。食べ終わると、絶妙のタイミングでお坊さんがホットコーヒーを持って現れた。非常に美味かった。

念のため水は少し持っていった方がよいと言われたので、1リッターのプラティパス水筒を渡した。お坊さんは5分くらいして再び現れた。水に加え、リンゴとミカンとお菓子を頂いた。二日分の食料に2Kgがずしりと加わり、厳しい重さになった。お坊さんは丁寧に見送ってくれたので、ついでに写真を撮ってもらった。山頂近くには水洗トイレがあり、見晴らしの良い所にテントを張った。岩城島は良い所だ。



2000年11月

僧が岳にて(2000年10月29日)

グレゴリーのバックパックをテストするため9月に僧が岳に行ったのですが、改造したので、テストのため、もう一度僧が岳に行く必要がありました。

土曜日の朝、魚津に行き、バスで東蔵へ。東蔵から3時間片貝川を詰めて登山開始。4時頃、ようやく剱見の池(1700メーター地点)に着き、シェルターテントでビバーク。ステーキ2枚食べて12時間寝ました。天気が崩れ、夜間に40ミリくらい雨が降ったのですが、気がつかなかった。翌日はテクテクと宇奈月まで。

シェルターテントと浄水器の写真は今度の本に使えそうです。雨だったので、ディアプレックス・レインスーツのテストもできたので運が良かった。雨だと山には誰もいませんね。セルフポートレートの格好いいのも欲しかったけど、ましなのがこれ。写真は難しい。



2000年8月

雨竜沼湿原にて(2000年7月31日)

JR増毛から徒歩でアプローチ、暑寒別岳、南暑寒別岳を縦走し、雨竜沼湿原を経て雨竜町のバス停まで歩いた。遠いと思ったら60キロもあった。アブのお迎えにヤブ蚊のお見送りには泣いた。3キロだけは車に乗せて貰った。

倶知安に移動し、豆治療のため公園で寝たきり、さらに天候の回復待ちで、計5日滞在した。生協はあるし、温泉はあるし、ステーキを焼いて、文庫本を読んで、公園でごろごろだろ、もう、最高だったね。

あまり、寝たきりでは困るので、羊蹄山はベースキャンプ5時発、デイパックだけだったので3時間で登ってしまった。ガスがかかっていたけど、また、お花畑が最高なんだ。別の登山口に降りたのが午後2時過ぎ。珍しく、速攻登山をしてしまった。

天気が思わしくないし、花もだめとの情報で、ニセコ縦走はやめて、余市に移動、積丹半島のおいしい所だけ1泊2日歩いた。車が増えていたのでもう一つだったが、大いに楽しんだ。



2000年5月

鳩谷ダムから大窪の水芭蕉へ向かって(2000年5月3日)

今年は異常に雪が多いので、八尾--楢峠--天生峠コースは通行不可。やむなく初日は庄川町から境川発電所まで。夜桜がきれいで、ステーキがうまかった。2日目は大窪の水芭蕉見学。雪が多かったので、ちょうど良い具合でした。かたくりの大群落もあります。続いて山中峠の直下までアプローチして野宿。夜はマイナス5度。良いシュラフで寝ると、気分は最高。3日目は水芭蕉を見学して(少し早かった)、車が多いので、萩原町へ下って食料を補充し、位山峠を越えて、刈安峠を少し下った山中で野宿。4日目は高山経由の旧街道沿いを快走し、自宅まで帰りました。

ショックだったこと。位山峠は15年ばかり前に越えたのに、ほとんど記憶がなかった。昔は寂しい道で、林道脇の空き地で一人寂しくテントを張った記憶があるのですが。道は広くなり、オートキャンプ場もできて賑わっていました。



2000年4月

大三島山頂にて(2000年3月21日)

バックパックを担いで、まず宮島(厳島)を半周りしました。海岸線の道はブッシュで歩けない所がありましたが、縦走路は健在でした。島を替え、芸予諸島の上蒲刈島を縦走し、豊島、大崎下島、大崎上島、大三島、因島を歩きました。永遠に歩けそうだったのですが、島がなくなったので、9日で帰ってきました。

瀬戸内は食料豊富で、丸一日分の食料さえ持っていれば歩けます。海岸線を歩いていて、寝るときは50メーターくらい高度を稼ぎ、空き地を見つければ良いだけです。水は2リッター持ちます。雨水や小川の水を飲むときは浄水器も役に立ちます。



1999年12月

屋久島灯台近く(99年12月26日)

屋久島で9泊しました。もちろん、オール野宿。上陸直後、寒気団が接近、吹雪となりました。楠川から登山開始、すぐに嫌になりテント、気を取り直し、再び登山、吹雪となり、縄文杉への登り口でテント。帰ろうと思っているとツアー客が通りかかり、どうせならとウィルソン株まで登る。雪は30センチ以上。ツアー客は帰るが、一人女性登山者が登りたがっていたので、ガイド登山開始、縄文杉は積雪50センチでしたが、雰囲気は良かったです。その後、まっすぐに帰らず、もう一泊したため、嫁さんに警察に手配されてしまった。5日分の食料、冬山装備で登る人は例外らしく、2〜3日、放って置いても大丈夫と言われました。さすが、警察、よく見ています。平地に降りると、亜熱帯。もちろんテント泊。バスを少し使って温泉で休息。ラストステージとして西部林道60キロをすべて歩きました。充実していましたね。

バス停でぼんやりしていると、地元の人が「はいポンカン」と2〜5個くれる。道を聞いても「はいポンカン」とポケットから2つ。たちまち9個貰った。重さが馬鹿にならない。それに屋久島の人はけっして「車に乗らないか」と余計なことは言わない。自主性を尊重してくれる。北海道のくそ親切さとは違う意味の親切を感じた。しかし、ポンカンの重さには注意。



1999年8月

奥尻島、採れたてウニ握り(99年8月10日)

夏は自転車で再び道南を回りました。超暑い北海道でした。崩壊した林道を辛うじて突破して(膝まで泥に潜りました)、奥尻にたどり着き、昔知り合いになった人を訪問しました。素潜りが得意で、ウニとアワビの密漁をしてくれました。私は泳げないので、海に浸かって待っていただけ。採れたてのウニを鉈で叩き割り、即席に作ってくれたのが写真です。採れたてのウニは甘みがあり、うまかったです。ウニに醤油を少し混ぜ、殻に詰めてたき火で焼いたウニもうまかった。しかし、たき火でアワビを焼いたものが一番うまかったです。贅沢な二週間でした。



1999年7月

因島、白滝山・白龍寺にて(99年3月24日)

村上家のルーツを探るべく、徳山を起点にリュックを担いで野宿しながら、向島、因島、生地島、大三島(おじいさんの出身地)を歩きました。瀬戸内の文化水準の高さにびっくり。昔は交易の中心地だったのです。生地島は平山画伯の出身地、大三島には村上三島という大書道家がいました。直接のつながりは不明でも自分の血に納得。似た顔の人も多かったのです。古里に帰ったような9泊10日でした。



1998年11月

僧が岳にて

東蔵を妻と午後3時半出発、一日目は発電所で野宿、二日目にようやく登山開始、遭難碑もあり、急な山で躊躇しました。水がない山で、二人分の水の担ぎ上げが大変でした。登頂後、200メーターぐらい高度を下げて野宿、水が足りず、たまり水を煮炊きに利用しました。三日目に宇奈月に降り、風呂と安い飯屋さんにありつく。油断すると危ないですけど、良い山です。その後、春に上った時は白根アオイやかたくりの花を見たし、野生の猿、カモシカを見ました。真新しい熊のウンコも見ました。(再執筆)



1998年4月

石川県、千里浜にて

金沢からリュックを担いで9泊10日、能登半島をバックパッキングした時の写真です。千里浜といっても丸二日歩くと、砂浜が無くなります。浜千鳥がいて、鳥の好きな人はよいでしょう。砂浜を歩くのが好きで、たまに歩きますが、足に堪えるので、まねをしない方が賢明でしょう。おもしろいと言って、北日本新聞でこれを記事にしたことがあります。(再執筆)



1998年2月

冠山にて

今庄から冠山林道へ回り込み、たった1時間と標識があったので冠山に登りました。サイクリングシューズで山など登ってはいけないのですが。その後、京都の登山家と一緒になり、少し遊んで写真をとっもらいました。後は日本最大のダムを建設中の徳山まで一気に下りました。詳しいことは「野宿のすすめ」に書きました。(再執筆)